蓬左文庫と駿河御譲本
写真
蓬左文庫
尾張徳川家の旧蔵書を中心に和漢の優れた古典籍を所蔵する公開文庫。
*以下の文章は、蓬左文庫文庫長にインタビュー取材したものを要約したものです。
2009年1月取材
蓬左文庫の名前の由来
蓬左文庫のホウサというのは江戸時代の名古屋の別称です。蓬というのはヨモギですが蓬来の宮を指す言葉です。左というのはひだりなんですが、左方ないし周辺という意味がありまして歴史ある熱田の宮の周辺に出来た新しい町ということで名古屋を洒落て呼んだのが蓬左という意味です。
名古屋城のことも蓬左城と言ってましたので、その蓬左城に伝えられた書物を所蔵する文庫ということで蓬左文庫と命名しました。東京の尾張徳川家の屋敷の中で(昭和10年)開館しました。
御文庫の基礎となった「駿河御譲本」
名古屋につきましては現在の場所になるんですが、大名道具を中心とした徳川美術館が昭和10年のほぼ同じ時期に開館しています。尾張徳川家の蔵書を中心として優れた日本や中国、朝鮮の書物を所蔵している文庫ということが言えます。
蔵書の中心になっておりますのが、尾張藩時代の御文庫ということになります。御文庫というのは藩主の蔵書なんです。
その基礎を築きましたのは初代の義直という人物で、徳川家康の九番目の息子になります。家康の文化的な面を一番受け継いだと言われている人物なんですけれども、自身でもいろんな書物を収集したりもしています。
文庫をつくるに当たって基礎とした中心が父親から譲られた書物ということになります。これは「駿河御譲本」という風にいうんですが、なぜかといいますと家康は晩年に駿河に隠居をしております。50代以降に書物の収集などにも非常に積極的にかかわりました。
特に武家がつくった最初の文庫と言われる金沢文庫の蔵書であるとか、秀吉の行った朝鮮出兵で日本にだいぶん入ってきたと言われているお隣の朝鮮半島の李朝で作られた技術の高い金属活字印刷の出版物であるとか、当時としての最高レベルの書物を集めていたわけです。
隠居するに当りまして自分のお気に入りの物を持って隠居しまして、大体1万冊あったと言われていますが、(それを)駿河文庫といっていたわけです。亡くなりましたときに江戸と御三家に分けられまして、義直に対して約3000冊を遺品として渡したということになります。
非常に貴重な資料が入っていまして、それを中心に初代藩主義直は尾張藩の文庫の基礎を作っていったということになります。
将来の市民、研究者のために出来るだけ良い状態で残していきたい
重要文化財になっているものなんかを、そうそう皆さんに手にとって見ていただくわけにはいかないのでカラー画像で見ていただいたり、絵本のようなものも出来るだけカラー画像を整備してご覧いただけるような事を考えています。
今の市民の方だけのものではないので、将来の市民、研究者のために出来るだけ良い状態で残していきたいという事なので、保存を考えつつ、より深い研究なり調査なりをしていただけるようなシステムにしていきたいと考えております。
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