お伊勢参りの道 参宮街道 津市
写真
津城 再建された隅櫓
津城は天正8年(1580)に織田信包(信長の弟)によって築かれた。その後、藤堂高虎が四国伊予から移封、 慶長16年(1611)に大規模な改修を行い東北と西北の両すみに三重の櫓を建造する一方で城下町の整備を積極的に行った。32万石の城下町として明治維新にいたるまで藤堂家によって治められた。
三重県の歴史街道 伊勢街道の概要の一部
伊勢街道は、日永の追分で東海道から分岐して、 伊勢湾沿いを南下し伊勢へと至る。その距離およそ十八里。 日永の追分、白子、津、六軒、松坂、斎宮そして伊勢への ルートは、近世にはほぼ固定され、幕府によって脇街道として整備された。
「伊勢に行きたい伊勢路が見たい。 たとえ一生に一度でも」と 伊勢音頭にも歌われ、多くの人々があこがれた伊勢参り。
もともと伊勢神宮は皇祖神を祀る神社として、 一般人は 参拝することができなかったが、平安時代以降、 天皇・貴族の権力が衰えると、武士、そして庶民にも伊勢信仰が 広がり、室町~戦国時代ごろには庶民の伊勢参宮もかなり一般化していたという。
また 御師(おんし)と呼ばれる人々が地方に赴いて布教活動を行い、 各地で「講(伊勢講)」と呼ばれる組織を作り、組織的に伊勢参りをすすめていった。
東千里から中瀬
鈴鹿市から津市の河芸町に入った所に甕(かめ)釜冠地蔵堂がある。参宮道者の無事を祈願し、茶を接待した休憩所で巡礼道との分岐点にあたる。
東千里の町並みを近鉄千里駅の方向に進み伊勢街道は西に折れ国道23号線の西に沿って上野の町並みを進む。上野小学校を過ぎると上野神社の参道の鳥居が右手に見え小高い丘の上に最勝寺が建っている。最勝寺の西側にある円光寺は分部氏の菩提寺であったが、分部氏の近江国に転封されたため、円光寺も近江大溝に移転された。境内には分部氏の墓碑がある。
弘法井戸は上野の宿の中心にあり高札場・問屋・脇本陣などがあった所。街道の背後には上野城があった本城山がそびえている。現在は本城山青少年公園として親しまれている。
上野城は、津城の仮城として永禄12年(1569)織田信長の弟信包が分部光嘉に修築させた。光嘉は信長没後、豊臣氏、徳川家に仕え関ケ原の戦い後、家康から知行2万石を与えられ伊勢上野藩の初代藩主となった。
そののち分部氏は近江国大溝に移封となり廃城となった。小谷城落城後、お市と茶々、初、江の三姉妹が保護されていたことでも知られている。
河芸町上野から中瀬に進むと高山地蔵尊が右手に見える。罪人を処刑する場所であったといわれ供養のために建てられた。松林寺、中瀬八幡神社を通り栗真小川へ向かう。
- 甕(かめ)釜冠地蔵堂前 伊勢街道と巡礼街道との追分
- 甕(かめ)釜冠地蔵堂
- 信光寺
- 本福寺
- 本福寺参道前の伊勢街道
- 河芸町東千里あたりの伊勢街道
- 上野神社参道と左山頂にある最勝寺
- 上野神社参道の伊勢街道
- 最勝寺
- 上野神社
- 円光寺山門
- 円光寺
- 分部(わけべ)家墓の説明
- 伊勢上野城主 分部光嘉公・光勝公墓
- 弘法井戸
- 弘法井戸
- 伊勢上野城址
- 伊勢上野城址
- 伊勢上野城址模型
- 伊勢上野城天守台跡の展望台
- 上野城本丸跡
- 上野を行く伊勢街道
- 上野村元標跡
- 満流寺
- 光勝寺
- 高山地蔵尊
- 地蔵
- 松林寺
- 中瀬八幡神社
- 八雲神社
栗真小川町~栗真町屋町
中瀬の交差点で国道23号線と合流した伊勢街道は、小川町で再び西側に分岐してすすむ。善行寺、観音寺を過ぎ栗真小川の南端にあたる逆川神社を過ぎ栗真中山町へ入る。かっての面影を偲ばせる町並みが続く。街道の西側にある寒紅梅酒造は安政元年(1854)創業の老舗で七代続く造り酒屋。
栗真町屋町で巡礼道は伊勢街道と合流する。追分には常夜灯や道標が置かれている。
- 善行寺
- 観音寺
- 逆川神社
- 栗真中山を行く街道
- 寒紅梅酒造
- 大円寺
- 巡礼道との追分
- 巡礼道との追分
- 鈴鹿山脈の夕景
- 鈴鹿山脈の夕景
上浜町~栄町
津市の中心部を流れる志登茂川に架かる木造の江戸橋を渡り上浜町へ進む。
入口あたりが伊勢街道と伊勢別街道との追分。常夜灯があり安永6年(1777)に建立された。 このあたりは蔵のある家や酢屋・阿部など江戸時代の街道の面影を残す建物が街道に軒を並べる。
小丹神社を過ぎ津駅周辺の官庁街には、三重県立博物館や津偕楽公園などの文化施設、密蔵院、 四天王寺などの由緒ある寺院が点在している。
- 志登茂川
- 江戸橋
- 常夜灯・道標(高田本山道と分岐)
- 蔵のある家(上浜町)
- 一乗寺
- 深正寺
- 深正寺前の伊勢街道
- 酢屋・阿部
- 光蓮寺
- 小丹神社
- 積善寺山門前の風景
- 積善寺
- 善徳寺前の伊勢街道
- 近鉄津駅
- 三重県立博物館
- 津偕楽公園
- 密蔵院
- 四天王寺山門
- 四天王寺本堂
- 比佐豆知神社
津城跡と津観音(塔世~本町)
安濃川に架かる塔世橋を渡り日本三観音の一つ津観音(恵日山観音寺)へ進む、仁王門前の 大門は伊勢街道沿いに本陣・問屋場があった場所。現在はア-ケ-ドのある商店街が連なっている。
今は市街地となって面影はないが、街道の西側は津城郭が広がっていた。
津城は天正8年(1580)に織田信包(信長の弟)によって築かれた。その後、藤堂高虎が四国伊予から移封、 慶長16年(1611)に大規模な改修を行い東北と西北の両すみに三重の櫓を建造する一方で城下町の整備を積極的に行った。32万石の城下町として明治維新にいたるまで藤堂家によって治められた。
岩田川近くある寒松院は藤堂家の菩提寺。境内には高虎はじめ代々当主の墓が建てられている。
- 三重県庁
- 報恩寺
- 福満寺
- 大宝院
- 如意輪観音堂(日本三大観音)
- 如意輪観音前の伊勢街道
- 仁王門
- 仁王門から見た伊勢街道(大門商店街)
- 伊勢街道(大門商店街)ア-ケ-ド
- 伊勢街道津宿 本陣・問屋場跡付近
- 西来寺
- 津城跡
- 津城跡
- 津城跡日本庭園
- 入徳門
- 入徳門解説
- 寒松院・藤堂家墓地
- 寒松院・藤堂家墓地
- 藤堂高虎の墓
- 寒松院・藤堂家墓地
岩田橋から八幡町
岩田川に架かる岩田橋を渡ると伊勢街道は再び国道23号線と合流する。 街道の両側には仏眼寺、圓通禅寺、浄安寺、阿弥陀寺などの寺院が並んでいる。 岩田の交差点で23号線と左へ分岐下弁財町津興方向へ向かう。
下弁財町津興には、二代藩主藤堂高次が建立した閻魔堂( 眞教寺)や市杵島姫神社が並んでいる。江戸時代には、このあたりが町のはずれでそば屋や茶店等があってにぎわったといわれている。
閻魔堂を右手の曲がり、格子や軒の低い二階づくりの家なみの続く八幡町を進む。街道の東側には結城神社、津八幡宮が並ぶように鎮座している。結城神社は後醍醐天皇を奉じて「建武新政」の樹立に貢献した結城宗広公を祀り、津八幡宮は藤堂藩歴代の崇敬が厚かった。
神社を過ぎ藤枝町に入り香良洲道との追分へと進む。
- 仏眼寺
- 圓通禅寺
- 浄安寺前の伊勢街道(国道23号線)
- 浄安寺
- 阿弥陀寺
- 大市神社
- 閻魔堂(眞教寺)と市杵島姫神社
- 閻魔堂(眞教寺)
- 閻魔堂(眞教寺)石柱
- 市杵島姫神社
- 閻魔堂(眞教寺)前の伊勢街道右に折れる
- 教圓寺山門
- 格子や軒の低い二階づくりの家なみ
- 地蔵堂
- 八幡町を行く街道
- 結城神社
- 津八幡宮
- 津八幡宮
香良洲道追分から藤方
- 香良洲道との追分付近の伊勢街道
- 香良洲道との追分
- 成就寺の横を通る伊勢街道(左手に行くと清水不動院)
- 成就寺
- 清水不動院
- 金剛寺
- 南昌寺
- 須賀神社参道の階段
- 藤方の町並み
- 式内加良比乃神社
- 西福寺
- 高茶屋へ
高茶屋から雲出川
- 称念寺
- 称念寺山門前の常夜燈
- 高茶屋神社と伊勢街道
- 高茶屋神社と常夜灯
- 雲出神社と香良洲(からす)街道
- 雲出神社
- 水分(みくまり)神社
- 雲出井(くもずゆ) 水を三分する灌漑用水路
- 雲出井(くもずゆ) 水を三分する灌漑用水路
- 雲出井(くもずゆ) 水を三分する灌漑用水路
- 本陣跡にある明治天皇島貫御小休所跡碑
- 島貫を行く街道
- 円福寺
- 島貫の町並み
- 雲出島貫の常夜灯
- 雲出島貫の常夜灯案内板
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