水都大垣
写真
大垣 船町港の復元船
大垣城を中心とした大垣市の中心部は、江戸時代の城下町の名残を残した水路が多く残って古の情緒を漂わせている。 大垣は、また俳人・松尾芭蕉が「奥の細道」の旅を終えたむすびの地として知られている。
大垣市と美濃路
三重の掘に囲まれた水の城「大垣城」の総掘内には、古来からの町屋である本町、中町、魚屋町、竹島町、俵町があり、その町屋を縫うように美濃路が通っていた。
東方に位置する東総門は、名古屋方面にあることから名古屋口門とも呼ばれ、京都方面に通じる西総門とともに明け六つに開かれ、暮れ六つに閉じられた。本町の北隅の札の辻には高札場がおかれ、南に下ると脇本陣が置かれていた。竹島町には本陣が建造され、現在は、大垣宿本陣跡附明治天皇行在所跡として大垣市の史跡に指定されている。
西総門を出て、舟町道標を通り南にくだると住吉灯台が見えてる。陸送に変わるまでは、桑名と大垣を結ぶ水運の拠点として繁栄したところである。
(案内板を参照)
- 大垣城周辺地図
- 大垣城 東総門跡(名古屋口門跡)へ向かう美濃路
- 大垣城 東総門跡石柱
- 大垣城 東総門解説
- 大垣宿 札の辻 高札場跡
- 高札場案内板
- 大垣宿脇本陣跡
- 大垣宿脇本陣案内板
- 大垣宿脇本陣案内板
- 脇本陣付近の美濃路
- 大垣宿脇本陣跡
- 大垣宿本陣模型
- 大垣宿本陣資料館展示
- 大垣宿本陣資料館展示
- 大垣城 西総門跡(京口門跡)付近の美濃路
- 大垣城 西総門跡(京口門跡)石柱
- 西総門跡(京口門跡)案内板
- 西総門跡(京口門跡)絵図
- 舟町道標
- 住吉灯台
- 船町湊跡石柱
- 奥の細道むすびの地記念館
大垣市の春
- 水門川と舟町
- 大垣は松尾芭蕉「奥の細道」終焉の場所
- 松尾芭蕉碑
- 谷 木因碑
- 大垣 船町港の復元船
- 水門川と桜
- 水門川と桜
- 大垣城の桜
- 大垣城の桜
- 舟下り
- 舟下り
戸田氏と大垣城
大垣城は美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定により、天文4年(1535)に創建されたと伝えられている。関ケ原の戦いでは、西軍・石田三成の本拠地となった。その後、戸田氏が十万石の城主となり明治まで太平の世が続く。昭和11年(1936)に国宝に指定されたが、昭和20年(1945)7月戦災で焼失。昭和34年(1959)4月、4層4階の天守閣を再建し、名実ともに城下町大垣のシンボルとなっている。
(大垣市HPより)
- 大垣城の表門
- 大垣城由来
- 大垣城下図
- 大垣城絵図
- 資料館となっている大垣城天守閣
- 戌亥櫓
- 大垣城天守閣
- 大垣城
- 初代藩主戸田氏鉄(うじかね)公騎馬像
- 大垣藩戸田家の菩提寺円通寺
- 円通寺山門
- 円通寺山門案内板
- 戸田氏廟所
- 戸田氏廟所
新緑の大垣市 たらい舟と大垣まつり
大垣まつりの軕の起源は、慶安元年(1648年)に大垣城下町の総氏神であった八幡神社が、大垣藩主戸田氏鉄公により再建整備されたおり、城下18郷が喜びを神輿3社の寄付で表し、大垣10か町が10両の軕を造って曳回したのが始まりといわれている。
延宝7年(1679年)、藩主戸田氏西(うじあき)公から、「神楽軕」「大黒軕」「恵比須軕」のいわゆる三両軕を賜り、それを機に10か町は、軕の飾りつけに趣向を凝らしていった。
濃尾震災や先の大戦によって多くの軕を失いますが、その後、修復や復元、購入したなどにより再建が進められ、平成24年に2両の?が復元され、70年ぶりに全13両軕が勢揃いした。
(大垣市HPより)
- おおがきたらい舟運行図
- 4月末から5月上旬に行われる
- おおがきたらい舟
- おおがきたらい舟
- 大垣八幡神社
- 大垣八幡神社
- 八幡神社「大垣の湧水」
- 大垣祭由来
- 大垣まつり
- 大垣まつり
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