お伊勢参りの道 参宮街道 伊勢市
写真
筋向橋
江戸から伊勢までの距離は日本橋から筋向橋までの距離を測ったといわれる。
三重県の歴史街道 伊勢街道の概要の一部
伊勢街道は、日永の追分で東海道から分岐して、 伊勢湾沿いを南下し伊勢へと至る。その距離およそ十八里。 日永の追分、白子、津、六軒、松坂、斎宮そして伊勢への ルートは、近世にはほぼ固定され、幕府によって脇街道として整備された。
「伊勢に行きたい伊勢路が見たい。 たとえ一生に一度でも」と 伊勢音頭にも歌われ、多くの人々があこがれた伊勢参り。
もともと伊勢神宮は皇祖神を祀る神社として、 一般人は 参拝することができなかったが、平安時代以降、 天皇・貴族の権力が衰えると、武士、そして庶民にも伊勢信仰が 広がり、室町~戦国時代ごろには庶民の伊勢参宮もかなり一般化していたという。
また 御師(おんし)と呼ばれる人々が地方に赴いて布教活動を行い、 各地で「講(伊勢講)」と呼ばれる組織を作り、組織的に伊勢参りをすすめていった。
小俣町明野から宮川
- 徳浄上人千日祈願の塔 天保7年(1836)建立
- 徳浄上人千日祈願の塔 天保7年(1836)建立
- 浄上人千日祈願の塔案内板
- 廻国供養碑 寛保元年(1741)建立
- 庚申堂 寛政年間(1789~1801)建立
- 「へんばや」 参宮客がここで馬を返して一休みした
- 庚申堂 安永(1772~1781)の建立
- 小俣町明野の町並み
- 外城田橋
- 外城田川 水量の増減が激しく「貧乏川」と呼ばれた
- 官舎神社
- 官舎神社案内板
- 札の辻 高札場跡
- 和歌山藩高札場跡碑
- 虫籠窓が残る格子の町家 屋号「丸吉」
- 浄土寺
- 小俣神社
- 伊勢国司から幣帛が奉られる13社の1
- 小俣町本町の町並み
- 「参宮人見附」と刻まれた石柱
- 宮川
- 宮川「桜の渡し跡」
- 「桜の渡し跡」案内板
- 「桜の渡し跡」案内板
- 茶屋町の道標
- 茶屋町の道標案内板
八日市場町から尾上町 伊勢神宮外宮付近
- 筋向橋案内板
- 筋向橋(伊勢本街道と参宮街道合流点)
- 道標
- 神路通り(かみじどおり)の町並み
- 神路通り(かみじどおり)解説
- 月夜見宮
参宮街道古市から宇治浦田
- 古市は遊郭・歌舞伎町として江戸時代栄えた
- 遊郭油屋の跡
- 遊郭油屋の跡
- 大林寺
- 「お紺と斎」の比翼塚
- 「長峰神社 伊勢音頭の遊女や古市歌舞伎の役者の祖神
- 道標
- 旅館麻吉 今も唯一当時の面影をそのまま残した宿
- 旅館麻吉 今も唯一当時の面影をそのまま残した宿
- 寂昭寺
- 寂昭寺
- 参宮街道資料館 参宮帰りの精進落としで賑わった遊里や伊勢歌舞伎を紹介
- 参宮街道
- 桜木地蔵
- 桜木地蔵案内板
- 常夜燈二基
- 少坡美術館 神社と伊勢に関りの深い文物を展示
- 猿田彦神社
宇治浦田から伊勢神宮内宮前
- 道標
- おはらい町(参宮街道)赤福本店前
- 参宮歴史館おかげ座
- おはらい町(参宮街道)内宮へ
- 五十鈴川
- 宇治橋
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