国府宮はだか祭
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尾張大國霊神社(国府宮)「はだか祭」儺追殿に引き上げられる儺負人(神男)
尾張大國霊神社(国府宮)で行われる「はだか祭」は、正しくは「儺追神事」(なおいしんじ)といいます。 今から約1240年前、奈良時代の神護景雲元年(767年)、称徳天皇が全国の国分寺に悪疫退散を祈れと勅命を発したとき、尾張国司が尾張総社である尾張大國霊神社で厄払いをしたのが、儺追神事となって現在まで伝えられています。 目立つ節分行事が近在になかったせいもあり、春を呼ぶ形で定着したこの神事に、裸の寒参り風習がドッキングして現在の祭りになったのは江戸末期のことです。裸の激突という形態は、昔、いやがる人を神官が取り押さえ、捕まえてきて儺負人(なおいにん・神男)に仕立てた、そのもみ合いを受け継ぐものとされています。
(稲沢市公式サイトより)
儺追神事(なおいしんじ)
儺追神事の当日は、朝5時に行なう「神男一番祈祷」をかわきりに、厄除けのご祈祷を受ける人や御守りの「なおいぎれ」等を受ける人々で境内は雑踏します。
午後三時になると神男が参列し、本殿において「儺追神事」を斎行します。 その頃拝殿の外では近隣各地区からの裸男達の集団が次々と「なおい笹」を捧げ喚声を上げて威勢良く拝殿へ駆け込んで来ます。 最後に小池正明寺地区の手桶隊が登場し、裸男達をめがけて水をかけます。 すると裸男達は待ちわびたかのように一層大きな喚声を上げ神男の登場を待ちます。
この時から神社周辺は異様な雰囲気に包まれます。神事の最中、神男は警護の者に守られ、全身無垢の姿で参道に群がっている裸男達の中に飛び出します。 裸男達は、神男に触れる事で自分達の厄災を祓うことが出来ると信じ、一斉に神男に殺到します。 神男が、はだかの群集に揉まれ触れられ人々の厄災を一身に受けて儺追殿に納まった後、神事が終了致します。 <このはだか男達の揉みあいは、江戸時代末頃から始まりました。>
(国府宮公式サイトより)
2月4日早朝
- 国府宮楼門 2月4日朝5時頃
- 国府宮楼門 2月4日朝5時頃
- 拝殿に奉納された鏡餅
- 国府宮拝殿 早朝
2月4日午後~夕刻
- 境内に揚げられたのぼり
- 「なおい笹」を捧げ拝殿へ向かう裸男たち
- 人ごみで埋まった境内
- 人ごみで埋まった境内
- 楼門前
- 次々に拝殿に向かう「なおい笹」
- 拝殿に奉納される「なおい笹」
- 拝殿に奉納される「なおい笹」
- 喚声
- 拝殿に奉納される「なおい笹」
- 喚声
- 境内に運ばれる「なおい笹」
- 拝殿に奉納される「なおい笹」
- 神男を待つ裸男と観衆
- 神男に触れようと殺到する裸男
- 神男に触れようと殺到する裸男
- 神男に触れようと殺到する裸男
- 日も落ち楼門を入る神男
- 手桶隊が裸男に水をかける
- 手桶隊が裸男に水をかける
- 興奮に包まれた境内
- 興奮に包まれた境内
- 興奮に包まれた境内
- 興奮に包まれた境内
- 儺追殿から引揚人が裸男の渦に飛び込む
- 儺追殿に引揚られる神男
夜儺追神事(よなおいしんじ) 2月5日御前3時から
昼間の激しいお祭が終わり、草木も眠る真夜中の午前三時に庁舎(ちょうや)にお いて斎行されます。 儺負人(神男)に、天下の厄災を搗き込んだとされる土餅を背負わせ、御神宝の大鳴鈴(おおなるすず)や桃と柳の小枝で作られた礫(つぶて)にて追い立てて、境外へ追い出します。
追い出された儺負人(神男)は、家路につく途中土餅を捨てます。この土餅を神職の手により埋める事で、世に生じた罪穢悪鬼を土中に還し、国土の平穏を現出するのであります。 この神事が儺追神事の本義であり、称徳天皇の御世より現代に至るまで最も神聖視され重要視されています。
(国府宮公式サイトより)
- 拝殿横に置かれた「なおい笹」
- 拝殿横に置かれた「なおい笹」
- 拝殿前
- 夜儺追神事-庁舎(ちょうや)
- 夜儺追神事-庁舎(ちょうや)
- 土餅を背負った儺負人(神男)
- 土餅を背負った儺負人(神男)
- 境外へ追い出される儺負人(神男)
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