シリーズ愛知万博を語るその1-安井俊夫氏に聞く
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2005年に開催された愛知万博『愛・地球博』は、旧来の「開発型」「国威発揚型」の万博から「自然の叡智」をテーマに環境保護を掲げた、新しい博覧会のスタイルを確立したと評価されています。
2015年に10周年を迎える愛知万博を迎えるにあたり、安井 俊夫氏(2005年日本国際博覧会協会 事務次長)に取材を行い、幼年期の戦争体験、愛知県庁職員時代のエピソード、愛知万博の誘致決定から開催にいたる経過、未来への愛知万博の理念継承など、現場の第一線で指揮を執られた安井氏ならではの体験談をシリーズでお伝えします。
安井俊夫氏 プロフィール
昭和12年 愛知県に生まれる
昭和36年 中央大学法学部卒業
愛知県庁に勤務し、芸術文化や福祉関係の部局長、教育長を経て 平成9年から「2005年日本国際博覧会(愛知万博)協会」の事務次長 を務める。
平成16年からは愛知総合看護福祉専門学校(もりのがくえん)校長に就任、学生から「モリゾー先生」と呼ばれている。
平成19年 瑞宝小綬章受賞。
平成25年「黒ネコもりハナ物語」(文芸社)で作家デビュー。
第1回
-インタビューの内容を要約して記事にしています-
愛知万博 名古屋の本部長就任
1997年に愛知万博の開催が決定しまして、まさか私が直接の責任者になるとは思いませんでした。当時は、栄にある愛知芸術文化センターの文化振興事業団の理事長をしていましたが、その年の10月に鈴木知事から呼び出しがありまして、愛知万博の名古屋の本部長就任を打診されましたが、それまではあまり万博に関わっていなかったので自信がありませんでしたが、君しかいないとの一言でお引き受けすることになりました。就任以後は豊田章一郎会長のもとで会期終了まで万博に関わることになりました。
海上の森から愛知青少年公園へ主会場の変更
実際に引き受けて動きはじめ、会場に決定していた瀬戸の海上の森を訪れたところ、これは大変だと実感しました。絶滅危惧の恐れがあるシデコブシやオオタカの営巣などがあり、愛知万博のテーマである「自然の叡智」との整合性に苦慮しました。かといって返上することも出来ず、主会場を長久手町(現在の長久手市)にある愛知青少年公園に変更することになりました。
愛知青少年公園は、50mほどの高低差があり、その中に溜池が13あるなどの開催に向けての問題点がわかりました。堺屋太一さん(当時の最高顧問)や黒川紀章さんは、フラットな大規模造成を主張されましたが、「自然の叡智」をテーマに掲げているのに、それでは地元が納得しないと反対しました。お前とは話をしないと言われるまでの激論を交わし、最終的には豊田章一郎さんに一存することで、最終的には自然を守るという方向で決着しました。これまでの万博の歴史で自然を守るといった会場はなかったと思います。地形をそのままにして世界の国々のパビリオンを造ることは、大変な苦労をともないました。しかし、やってよかったと考えています。これが21世紀型のナショナルプロジェクトとか国際的なプロジェクトのモデルになると思っています。
万博理念の継承
愛知万博終了後、長久手の会場は「愛・地球博記念公園(愛称 モリコロパーク)」、瀬戸会場は「瀬戸万博記念公園」や「あいち海上の森センター」としてテーマである「自然の叡智」の理念継承が行われていますが、会場以外でも様々な取り組みがおこなわれています。私事ですが、万博終了後たまたま、現在の長久手市長吉田一平さんから自分のやっている学校、当時は愛知福祉学院という名称でしたが、「杜の学園」との愛称で呼ばれ、木を切らない、地形を変えない、木造の建物で福祉教育を手伝ってほしいとの依頼を受けてこれも縁であると思いボランティアのつもりで手伝うことになり11年が過ぎました。地味ですけど、まず長久手から、瀬戸から万博の理念を継承することで愛知へ、全国へ、そして世界へと広がることを願ってやっています。
次回は、安井さんの戦争体験についてお聞きします
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